グノシル AthIete Interview Session
緋田さん/CEO室
こんにちは!広報の鈴木です。2018年1月の入社以来、車いすバスケットボール選手として千葉を拠点に活躍中の緋田さんがこの度、日本車いすバスケットボール連盟より2023年度の強化指定選手に選抜されました。おめでとうございます!そこでこの5年間の歩みと今後パリで行われる大会にかける意気込みを語っていただきます。
過去のインタビュー記事はこちら
Gunosyに車椅子バスケット選手が初入社! 〜社員インタビュー 緋田さん
自分の“得意”が“武器”になるまで
−入社から5年が経ちましたが、何か変化はありましたか?
まず学生感覚は完全に抜けましたね。普通の社会人と同じというわけにはいきませんが、それなりにスポーツの世界で揉まれてきましたから。また大阪から単身で千葉に移ってきた以上はどんなアクシデントがあっても自分一人で乗り越えなければなりません。親や地元の友達を頼ることなく、チームメイトと励まし合いながら大きな壁に立ち向かう。そういう面では成長できたと実感しています。
−具体的にはどんな壁を乗り越えてきたのでしょうか?
大きくふたつあります。まずはひとつ目から。僕は2017年に初の海外遠征を体験しました。世界選手権予選という重要な大会に日本代表として出場して、それなりの手応えを得ることができた。それでバスケに専念するために千葉に出てきたんです。Gunosyのメンバーとして迎えていただいたのもその頃ですね。
ところがその直後、控え選手という扱いになってしまって…海外遠征時に味わったキラキラした雰囲気から一転、控えに回るというのは当時の僕にとっては大きなショックでした。いったい何をしに千葉まで出てきたのかとか、バスケってもっと楽しかったよなとか、家で一人でグルグル思い悩みながら2年ほどを過ごして。あの時期は辛かったですね。
−試合にもあまり出られなかったのですね
5試合に1回ぐらいでプレータイムもぜんぜん得られませんでした。一応選抜12名の中には入っているので海外遠征もあるのですが、やってやるぞ、というようなモチベーションも湧いてこなかったですね。控えになった理由はシンプルにチームメイトのほうが実力があったということ。最初はチームメイトを負かしてやる、という気持ちが強かったんです。
だけどそれは間違っていて。そのことに気づくのに時間がかかってしまいました。数試合に1回出場のチャンス。そこで自分が使われる意味、そのタイミングで何をすべきかをすごく考える必要があったんです。ライバルに勝つとか足を引っ張らない程度に、なんてスタンスではとてもまた使ってみようとはなりませんよね。
−大きな気づきがあったと
少ないチャンスをなんとかモノにできるようになってきたかな、と手応えが掴めたタイミングで東京で行われた大会の予選がありまして。そこでやっと開花したというか、認められました。それからはプレータイムも一気に増えていきました。
予選で確実に自分の武器はこれだ、とわかりましたし、周りにも見せることができました。それは連携プレーです。連携プレーってシュートやスピード感あるダッシュに比べると目立ちませんよね。僕も得意だとは思っていたけれどまさかそれを武器にするなんて、と葛藤がありました。でもパラの予選ではそこが評価されて、自分はこれで良かったんだ、と。
思わず「たられば」を考えてしまうコロナ禍
−ドラマチックな展開ですね!
ところが実はその話には続きがあって、それがふたつ目の壁、コロナ禍です。コロナがなければそのまま予選の半年後の本戦に出場できたんだろうな、と思ってしまう。たらればの話をしても仕方ないんですけど、どうしてもね。開催自体が一年延期になって、その間に勢いのいい選手がどんどん出てきて。いや、自分の実力でもあるのですが。
そのときはもう、うわー…っていう感想しかなかったですね。実際には代表12人での合宿中からなんとなく違和感というか、あれ?という感覚があったのですが、実際に発表されたときはさすがに落ち込みました。予選であれだけ手応えを感じていたのに、まさか、と。何かに甘えていたのかな、とか自問自答を繰り返して。あれも辛かったです。
−一度ならず二度までもどん底を味わったと
まさに失意のどん底でしたね、2021年は。いったん休学中の大学に戻ったときはバスケから離れようとすら思ったほどです。もちろん完全にあきらめたわけではなく、大学に通いながらも最低限、自分を追い込む練習は続けていました。その結果、2022年に所属チームからの推薦で強化指定選手に復帰したのですが、本当にここまで山あり谷ありでしたね。
−あらためて、強化指定選手おめでとうございます!
ありがとうございます。選ばれたときは、一年間自分を追い込んできてよかったと思いました。選考から落ちる経験があるだけにややトラウマみたいになってますけど(笑)とはいえこれで落ちても悔いはない、ぐらいの練習はやってきたので。
あと所属チームの『千葉ホークス』からは僕以外にもあと2人選出されていて。ポジションが違うのでお互い刺激しあっています。一緒にチームを引っ張っていこう、中心になってやっていこう、と。
−『千葉ホークス』の雰囲気はどうですか?
上を目指すことに対する理解が深い、とてもいい環境だと思います。ベテランの中にも日本代表一歩手前みたいな人もいたりして、レベルは高いですよ。プレイはもちろん、気持ちの部分でもバチバチ張り合っているというか。20歳ぐらいの若手も代表を目指して頑張っていますし。もちろん僕もお前らにはまだまだ負けんぞ、みたいな(笑)。
−車いすバスケの世界でも経験値はプラスに働くものなんですか?
やっぱり経験が多いということは知識の差でもありますし、似たような状況に何回遭遇してきたかによって判断スピードの差となってあらわれます。ベテランであることはアドバンテージになると思いますよ。
自分だから出せるものを全て
−今後は連盟主催の合宿が月1~2であると聞きましたが、意気込みのほどを
意気込みですか…実は半年前ぐらいに首を怪我しまして。強化指定に入る前なんですけどね。車いすの生活って首への負担がすごいんです。これはもう先輩みなさんが口を揃えて言うんですが、首の怪我は完治しないから向き合っていくしかない、って。バスケやるなら特に共存していく必要があるとのことでした。
そんなこともあって、もしかしたら今回のパリで行われる大会が代表として試合に出る最後になるかもしれません。バスケ人生の残りの時間を考えると、この先10年15年続けられる体じゃないんですよね。
−なにかこう、覚悟のようなものを持っているんですね
東京で行われた大会が終わって強化指定に戻るまでのこの2年でどんどん若い選手が出てきて、勢いもすごい。圧倒されそうです。でも自分だってまだ最前線を離脱したわけではない。特にアグレッシブさやメンタルの強さでは負けるつもりはありません。
先程のベテランの話じゃないですが、中堅のポジションで知識の差、経験値の差をしっかりと見せつけていきたいと思っています。これまで培ってきたもの全てを出し切れるように、と。自分だから出せるもの、自分にしか出せないものがあるんです。
−強化指定選手として選んだ方も期待していると思います
そうですね、選抜してもらえたことに感謝しています。強化指定選手に入ったということは最先端のハイレベルな合宿に参加できるということですし、若い頃に比べるとエモーショナルな喜びとしては落ち着いていますが、自分がやってきたことが正しかったと思えたのは本当に良かったです。
−この5年間の挫折も決してマイナスではなかった
先程も山あり谷ありと言いましたが、谷があるのは間違いなくプラスに働いていますね。ケガの有無に関わらず車いすバスケットという競技は一生できるものではありませんし、いずれは何らかの場所に所属して働くことになるでしょう。そのときのことを想像すると、挫折とそこから立ち直る経験ができたのは良かったとしか言いようがありません。
−最後にGunosyにひと言お願いします
ここまでいろんな話をしましたが、こうやってバスケに打ち込めるのもGunosyに所属してみなさんに応援していただいているからだと思っています。もう本当に感謝しかありません。次回パリで行われる大会での活躍がニュースとしてグノシー内で取り上げられるようがんばります。これからも応援よろしくお願いいたします!
−ありがとうございました!
緋田さん/CEO室
大阪府出身 車いすバスケ歴16年 千葉ホークス所属 ポジションはガード
背番号#26 一般社団法人日本車いすバスケットボール連盟2023年度強化指定選手
2018年1月Gunosy入社 趣味は愛車鑑賞 好きな食べ物は唐揚げ